第5話を除き、基本的には扉絵→次ページで落ちる構成になっている
第5話リス



第8話ウサギ


第14話ニホンカワウソ




第36話 白石


第63話 アザラシ

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幕末のバラ餓鬼:土方歳三 |
| 土方 歳三、幕末期の幕臣、新選組副長。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として数々の事件で武名を顕し、また隊内に峻厳な規律を実施して鬼の副長と称され、剣豪揃いの隊士たちに恐れられた。 戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事治安部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。 明治2年5月11日、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死。享年35。 箱館五稜郭防衛戦の際には新政府軍艦「朝陽」が味方の軍艦によって撃沈されたのを見て「この機会を逃すな!」と大喝、箱館一本木関門にて陸軍奉行添役・大野右仲に命じて敗走してくる仲間を率いて進軍させ、 「我この柵にありて、退く者を斬る!」と発した。 ちなみにゴールデンカムイのオマージュ元と言われている「手塚治虫」の作品「シュマリ」においても土方歳三が集治監(監獄)に囚われて生存していた。 |
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ガムシン:永倉新八 |
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永倉新八、幕末の武士(松前藩士、新選組隊士) 松前藩を脱藩後、新選組に入隊し、二番隊組長及び撃剣師範を務めた。明治期に杉村義衛と改名し、樺戸集治監の撃剣師範を務めた。 新選組の組長格の中でも屈指の剣腕を誇り、阿部十郎は後年、「一に永倉、二に沖田、三に斎藤の順」と語っている。「龍飛剣」と称する下段の構えから上へ敵の剣を擦り上げながら下へ切り落とす技を得意としていた。 我武者羅な性格だったので、「我武者羅」と「新八」を合わせ「がむしん」と呼ばれていた。 |
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不敗の牛山:牛山辰馬 |
| 牛島 辰熊、日本の柔道家。段位は講道館柔道九段。大日本武徳会柔道教士。 明治神宮大会3連覇、昭和天覧試合準優勝。その圧倒的な強さと気の荒さから「鬼の牛島」と称された。柔道史上最強を謳われる木村政彦の師匠として有名だが、牛島自身も木村に負けぬ実績を持つ強豪であった。 |
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木村の練習量にはその激しさから、様々な逸話定評がある。 元々木村は他の選手の倍の6時間から7時間練習していたが、絶対に勝利するために辿り着いた結論が「3倍努力」である。 拓大に入ってからの木村の練習量は10時間を超えた。拓大での稽古だけではなく、他大学や警視庁、皇宮警察などを回って乱取り稽古をしていた。乱取り(スパーリング)だけで毎日百本をこなした。その後バーベルを使ったウェイトトレーニング、巻き藁突きを左右千回ずつした。 夜になると、師の牛島にならい大木に帯を巻いて一日1000回打ち込みをし、遂にはその大木を一本枯らしてしまった。 木村はこの全日本選手権の前後でも公式戦で負けておらず、15年間ものあいだ不敗を通した。 その鍛え抜いたパワーは、障子の桟の両端を持って潰すことができ、太い鉛の棒を簡単に曲げたという。また、都電に乗った際、悪戯で吊革のプラスチック製の丸い輪を五指で鷲掴みにし、端から順に割っていくことがあった。 |
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同物同治の老人男性医師:家永カノ |
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H・H・ホームズは、「シリアルキラー」(連続殺人鬼)として記録された最初期の人物のひとりである。彼は27件の殺人を自供したが、彼が明かした「殺人の被害者」には存命者もおり、結局9件のみ立証された。 一般には200人もの被害者がいるとされている。 シカゴで薬局を買い取り、近くに3階建てのホテルを建設する。 “ ワールズ・フェアー・ホテル ” ここがH・H・ホームズの「 殺人の城 」である。 業者に工事を発注してはわざと支払いをせず別の業者に発注するやり方で、複雑な建物を他人に知られずに建設できた。 ・ガス室。 ・アスベストの壁の部屋。 ・拷問と解剖道具のある地下室。 ・証拠隠滅のための硫酸銅の水槽。 ・全室を行き来できる秘密の通路に覗き穴とスライド式の隠し扉。 ゴールデンカムイで登場した仕掛け全てが実在した。 |
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大日本帝国陸軍第七師団:鶴見中尉 |

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孤高の山猫:尾形百之助 |



| カルロス・ノーマン・ハスコックII世 アメリカ合衆国の軍人、狙撃手。アーカンソー州リトルロック出身。ベトナム戦争で活躍したアメリカ海兵隊の狙撃兵の中でも、最も著名な狙撃の名手。「ホワイト・フェザー」の異名で知られる。 近代アメリカの軍事・警察組織における狙撃手の育成、運用についてのメソッドに大きな影響を与えた。 映画『山猫は眠らない』シリーズ…主人公であるスナイパーのトーマス・ベケット曹長のモデルとされる。 |
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ちんちんぬきなっもしたなぁ:鯉登 少尉 |
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鯉登 行一、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1938年3月、陸軍兵器本廠付となり、1939年3月、陸軍少将に進級した。翌月、熊本陸軍幼年学校長に就任。1940年11月、第35歩兵団長として日中戦争に出征した。 1941年11月、陸軍中将に進み第7師団長に親補され終戦まで北海道に駐屯。1945年12月、予備役に編入された。 |
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不死身の杉元:杉元佐一 |
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舩坂 弘、日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。 その白兵戦におけるあまりの戦果から、個人名としては唯一「戦史叢書」に名前が載っている。 アンガウルの戦いで弘は多大な戦果を上げることになる。擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上殺傷したといわれる。水際作戦により中隊が壊滅する中、弘は筒身が真赤になるまで擲弾筒を撃ち続け、退却後は大隊残存兵らと島の北西の洞窟に籠城、ゲリラ戦へと移行した。 3日目には、弘も米軍の攻勢の前に左大腿部に裂傷を負う。米軍の銃火の中に数時間放置され、ようやくやって来た軍医は、傷口を一目見るなり、自決用の手榴弾を手渡して立ち去って行ったという。 瀕死の重傷を負いながらも弘は足を包帯代わりの日章旗で縛ることで止血し、夜通し這うことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には左足を引き摺りながらも歩けるまでに回復した。その後も瀕死クラスの傷を何度も負うも、動くことすらままならないと思われるような傷でも、不思議と翌日には回復しているのが常であった。 これについて弘は「生まれつき傷が治りやすい体質であったことに助けられたようだ」と、その事由を述べている。 弘は絶望的な戦況にあってなお、拳銃の3連射で3人の米兵を倒したり、米兵から鹵獲した短機関銃で3人を一度に斃し、左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺し、短機関銃を手にしていたもう1人に投げて顎部に突き刺して殺すなど、鬼神の如く奮戦を続けていた。実際、弘の姿を見た部隊員たちから、不死身の分隊長、鬼の分隊長と形容する声が聞かれるほどであった。 |
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アシㇼパ和名:小蝶辺(こちょうべ)明日子 |
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胡蝶別は遠淵村の地名の一つ 遠淵という地名は、アイヌ語の「トウ・プツ」(湖の口)に由来。 Wikipedia:遠淵村 地名が名前についていることから、アシリパの名前が今後、物語の中で金塊のありかに関わってくるのかもしれない。 |
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役に立たねぇな!白石!脱獄王:白石由竹 |



| 幼少期に豆腐屋の養子となるが、徐々に素行が悪化。遂に1933年に仲間数人と強盗殺人を犯し、その2年後に自首し投獄される。その際に収容された先の刑務所の待遇が劣悪だったことから抗議したところ、過酷な懲罰を受けたことが契機となり、その後、次々と脱獄と収監を繰り返す人生を歩むこととなった。 収監中、当時の看守達は白鳥の脱獄を阻止するため厳重に警備を重ね、あらゆる手立てを行ったがいずれも振り切られた。このことから、脱獄者を出すと職務怠慢で懲戒処分になる当時の看守の間では 「脱獄するなら、自分が当直以外のときであって欲しい」 と評されたエピソードがある。 身体の関節を簡単に外すことができる特殊体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出したという。 |