2017年8月26日土曜日

ゴールデンカムイの登場人物モデル&元ネタ集(死んでいった脱獄囚編)


悪夢の熊撃ち:二瓶鉄造

モデル:三毛別羆事件 山本兵吉

山本 兵吉、日本の猟師。
三毛別羆事件のヒグマを退治するなど、生涯で捕ったヒグマは300頭といわれる。
1915年12月9日、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢で、開拓民7名がヒグマに殺される三毛別羆事件が発生した。 兵吉は大勢の隊員とは別の道から山に入ると、200メートルほど手前から頂上付近のミズナラの大木で体を休めているヒグマを発見、20メートルほど前進するとハルニレの木に身を寄せ銃を発砲、ヒグマの心臓近くに命中した。しかし、ヒグマは立ち上がり兵吉をにらんだため2発目を発射した。その弾は頭を貫通したという。午前10時、7人を殺害したヒグマは兵吉によって命を絶たれた。 兵吉の活躍は吉村昭の小説「羆嵐」で山岡銀四郎として大きくとりあげられた。
 その後兵吉は三毛別に家を建てて、事件前に住んでいた鬼鹿村から家族を呼んで暮らしていた。 兵吉は酒を呑んでは妻を殴るので、妻が子供を連れて鬼鹿村へ帰ることはしょっちゅうだった。 小説などでは大変素行の悪い人物と描かれることが多いが、孫で初山別村の豊岬郵便局に勤める山本昭光によると、酒を呑むと荒れることもあったというが、いつもは優しく面倒見のいい人物だったとのことである。




殺人鬼:辺見和雄

 モデル:連続殺人鬼 ヘンリー・リー・ルーカス


ヘンリー・リー・ルーカス、アメリカ合衆国の連続殺人犯。全米17州で300人以上を殺害していると言われる。著名なシリアルキラーの1人であり、トマス・ハリスの作品に登場する連続殺人者、ハンニバル・レクターのモデルの1人。
仮釈放委員会で「釈放されたら、自分は必ず人を殺す」と明言していたにもかかわらず、彼は釈放された。仮釈放審査の面談で委員のひとりから、「君は釈放されたら本当に人を殺しますか?」と尋ねられたヘンリーは、「はい。私は釈放されたら間違いなく人を殺します」と言ったが、委員たちはこれをジョークと受け取った。そしてヘンリーは、自らの予言通りに、刑務所を出て数ブロックのところで女性を絞殺し、金品を強奪した。
ヘンリー曰く
「殺人は息をするのと同じだった。」とのことだ。
ちなみに辺見の股間が光る様子については作者がTwitterにて「Electric Six」"Danger! High Voltage"(←動画)のイメージと述べている。


ミスター極道:若山輝一郎

外見のモデル:俳優 若山富三郎

名前のモデル:俳優 若山輝一郎(若山富三郎の実子)


若山富三郎、日本の俳優・歌手・テレビドラマ監督。
数多い時代劇俳優の中にあって殺陣が最もすぐれた俳優と評された。
親分肌で、気に入った役者やスタッフらを取り巻きとして公私に関わらず引き連れていたため、いつしか「若山組」と呼ばれるようになった。面倒見のいい反面、非礼な態度や意にそぐわない相手には手を上げることもよくあり、自分より格下と思われる相手からは「若山さん」ではなく「若山先生」と呼ばれない限り、返事もしなかった。大部屋俳優等、弱い立場の人に対してだけでなく、撮影スタッフや監督、大映時代には会社幹部にまで暴力をふるうことがあったため恐れられていたが、子役に対しては優しかった。




賭場の匂いにチクビが疼く

壺振り:仲沢達弥

外見・名前のモデル:仲代達矢



仲代 達矢、日本の俳優。無名塾主宰。
温厚な性格で知られるが、若き日には共演者の三船敏郎や萬屋錦之介と酒を飲んで、演技論を戦わせた末にケンカした、という血気盛んな逸話を自ら語っている。丹波哲郎は「ケンカが強いのは仲代」と述べていた。映画『黒い河』『椿三十郎』『鬼龍院花子の生涯』など傲岸な役も多かったが、素顔は前述通り温厚。数々の女優達とも共演してきたが、『さんまのまんま』では「女優さんって、みんなどうしてあんなに強いんだろうねぇ…」と語っている。
(正確には脱獄囚ではありませんが若山とセットということで解説にいれました。)



詐欺師:鈴川聖弘

モデル:伝説の結婚詐欺師「クヒオ大佐」 鈴木和弘

鈴木和弘、アメリカ軍の特殊部隊のパイロットと偽り、女性たちから約1億円を騙し取った実在する結婚詐欺師。
自分のことを「ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐」と名乗っていた。
ターゲットとなる女性にはこう持ちかけたという。
・私と結婚すれば、軍から5000万円の結納金が支給される。
・またイギリス王室からも5億円のお祝い金が出る。
・ウェディングドレスはダイアナ妃のドレスも手がけたデザイナーに依頼して製作してもらう。
・結婚式は故郷のハワイで盛大に行い、仲人は田中真紀子、司会はKONISHIKIに依頼して快諾してもらっている。
その一方で、次のような点も見られたという。
・「USAから発行されたという公文書」を見せるが、すべて日本語で書かれていた。
・ジェット機に乗っている写真なども見せてくるが、ぼやけているのと写真が古すぎておかしい。
・突然ポケベルが鳴り出し、無線機のようなもので片言の英語でやり取りを始める。
・年齢は37歳と言い張るが、見かけはそれよりかなり年上であった。
・ハーフにしても、平均的日本人よりも背が低めであった。

後に本事件を元に小説・映画が作成された。



贋作家:熊岸長庵

モデル:藤田組贋札事件 熊坂長庵(冤罪説有)


熊坂長庵、明治15年、藤田組贋札事件の犯人として逮捕され、無期徒刑(無期懲役)を受け北海道の樺戸集治監に収監される。その4年後に獄死。長庵は冤罪の疑いが濃いとする説もある。
長庵も暮らした熊坂家の邸宅はその後、東京裁判で免訴となった大川周明の手に渡り、大川が亡くなるまで居住した。現在「古民家山十邸」として無料公開されている。



稲妻強盗:坂本慶一郎&蝮のお銀

坂本のモデル:稲妻強盗 坂本慶次郎

お銀のモデル:毒婦 鬼神のお松

夫婦強盗としてのモデル:強盗夫婦 ボニー&クライド



坂本慶次郎、明治時代の日本の強盗常習犯。坂本啓次郎とも。 足が驚くほど速く、1日に48里も逃げのびた、またその犯行の行動範囲の広さから「稲妻小僧」「稲妻強盗」という異名を持つ。
幾度かの犯罪の後、逮捕。出獄後も犯行を重ねたため、再逮捕後の明治21年に無期徒刑の判決を受けて北海道の樺戸集治監へ押送された。しかし数度の脱獄を企て、明治28年9月に外役中に逃走。関東に舞い戻り、傷害や強盗、強姦を重ねつつ、奪った金で遊郭で豪遊するなどしていた。この間、伊藤博文の落胤を自称するなどしていた。明治32年(1899年)2月14日に、埼玉県北葛飾郡幸手町にて逮捕。同年10月6日に水戸裁判所似て死刑宣告、明治33年(1900年)2月17日、市ヶ谷監獄支署にて絞首刑に処された。 警察が把握している被害件数は45件、奪った金は700円余り。 死者3人、重傷者13人。

鬼神のお松、歌舞伎・読本・錦絵などで石川五右衛門、自来也と並び、「日本三大盗賊」として描かれる女盗賊。根本資料が乏しく、架空の人物と考えられている。
明和4年、仙台藩士・早川文左衛門と仕官を望む浪人の山木伝七郎が仕合い早川が勝った。恨みに思った山木は仲間の立見丈五郎、部賀九兵衛、稲毛甚斉に声をかけ、帰城する早川を襲撃した。しかし、立見、部賀は返り討ちにされ、稲毛は京都に逐電した。
殺された立見の妻、お松は復讐を決意し稲毛の助太刀を得るために京都に向かう。稲毛は快諾したが、にわかに助平心を起こしお松に迫る。拒むお松が振り回した懐剣が稲毛の胸に刺さり稲毛は落命してしまう。
お松はひとり仙台に戻り、巧みに早川に近づいて陸奥国一関への旅に誘い出した。衣川を渡る時に色仕掛けで背負ってもらい、背中から刺して川に蹴りこみ本懐を遂げる。
その後、一関の北にある金岳山で三島権左衛門率いる20余名の盗賊に囲まれるが、巧みに権左衛門を倒し盗賊団の頭目に収まる。そして、手下を率いて近隣の村々を略奪して回り「鬼神のお松」と恐れられようになった。
天明3年3月7日、仇と狙う早川文左衛門の遺児・文次郎に金岳山で討たれる。




ボニーとクライドは、1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した、ボニー・パーカーとクライド・バロウからなるカップルである。
ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで、沢山の殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯した。当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞も含めて英雄視する者も多かった。後にボニーとクライドの犯罪は何度か映画化された。
逃走中、仲間を次々失いながらも逃げ続けていたボニーとクライドだったが、1934年5月23日、ルイジアナ州ビヤンヴィル郡アーケディアの寂れた道路を1934年式フォードV8に乗って走行中、行方の情報を掴んで待ち伏せしていたテキサス・レンジャー4名およびルイジアナ州警察の警官2名から、短機関銃で150発以上もの連射を受けた。ボニーとクライドは車で逃げ去ろうとしたが、車体を貫通してきた80発余りの銃弾を浴びて死亡(車に命中した弾丸の数については諸説ある)。車内からは軍の兵器庫からの盗品であるブローニングM1918自動小銃をはじめ、ショットガン、大型拳銃など、殺傷力の高い強力な銃器類が多数発見された。
二人の遺体はダラスにそれぞれ別に埋葬されている。





すごーい君は変態ケモノフレンズなんだね

ウコチャヌプコロ:姉畑支遁

モデル:アーネスト・トンプソン・シートン


アーネスト・トンプソン・シートンはイギリス出身の博物学者、作家、画家である。
日本では『シートン動物記』で有名である。また挿絵も画家であるシートン自身が描いており100点をこえる挿絵は、物語をいっそう魅力的にしている。ボーイスカウト運動の創生に大きな影響を与えた人物でもある。
なお、ヒグマとウコチャヌプコロしたといった逸話は存在しない。


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