2017年8月26日土曜日

ゴールデンカムイの登場人物モデル&元ネタ集(土方歳三陣営編)


幕末のバラ餓鬼:土方歳三

モデル:新撰組副長 土方歳三  

土方 歳三、幕末期の幕臣、新選組副長。
 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として数々の事件で武名を顕し、また隊内に峻厳な規律を実施して鬼の副長と称され、剣豪揃いの隊士たちに恐れられた。
 戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事治安部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。
明治2年5月11日、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死。享年35。
箱館五稜郭防衛戦の際には新政府軍艦「朝陽」が味方の軍艦によって撃沈されたのを見て「この機会を逃すな!」と大喝、箱館一本木関門にて陸軍奉行添役・大野右仲に命じて敗走してくる仲間を率いて進軍させ、
「我この柵にありて、退く者を斬る!」と発した。
ちなみにゴールデンカムイのオマージュ元と言われている「手塚治虫」の作品「シュマリ」においても土方歳三が集治監(監獄)に囚われて生存していた。




ガムシン:永倉新八

 モデル:新選組最強剣士 永倉新八


永倉新八、幕末の武士(松前藩士、新選組隊士)
松前藩を脱藩後、新選組に入隊し、二番隊組長及び撃剣師範を務めた。明治期に杉村義衛と改名し、樺戸集治監の撃剣師範を務めた。
新選組の組長格の中でも屈指の剣腕を誇り、阿部十郎は後年、「一に永倉、二に沖田、三に斎藤の順」と語っている。「龍飛剣」と称する下段の構えから上へ敵の剣を擦り上げながら下へ切り落とす技を得意としていた。
我武者羅な性格だったので、「我武者羅」と「新八」を合わせ「がむしん」と呼ばれていた。



不敗の牛山:牛山辰馬

名前と見た目モデル:鬼の牛島 牛島辰熊

人物像のモデル:鬼の木村 木村政彦

牛島 辰熊、日本の柔道家。段位は講道館柔道九段。大日本武徳会柔道教士。
明治神宮大会3連覇、昭和天覧試合準優勝。その圧倒的な強さと気の荒さから「鬼の牛島」と称された。柔道史上最強を謳われる木村政彦の師匠として有名だが、牛島自身も木村に負けぬ実績を持つ強豪であった。


木村の練習量にはその激しさから、様々な逸話定評がある。
元々木村は他の選手の倍の6時間から7時間練習していたが、絶対に勝利するために辿り着いた結論が「3倍努力」である。
拓大に入ってからの木村の練習量は10時間を超えた。拓大での稽古だけではなく、他大学や警視庁、皇宮警察などを回って乱取り稽古をしていた。乱取り(スパーリング)だけで毎日百本をこなした。その後バーベルを使ったウェイトトレーニング、巻き藁突きを左右千回ずつした。
夜になると、師の牛島にならい大木に帯を巻いて一日1000回打ち込みをし、遂にはその大木を一本枯らしてしまった。
木村はこの全日本選手権の前後でも公式戦で負けておらず、15年間ものあいだ不敗を通した。
その鍛え抜いたパワーは、障子の桟の両端を持って潰すことができ、太い鉛の棒を簡単に曲げたという。また、都電に乗った際、悪戯で吊革のプラスチック製の丸い輪を五指で鷲掴みにし、端から順に割っていくことがあった。





同物同治の老人男性医師:家永カノ

モデル:殺人ホテル H・H・ホームズ  


H・H・ホームズは、「シリアルキラー」(連続殺人鬼)として記録された最初期の人物のひとりである。彼は27件の殺人を自供したが、彼が明かした「殺人の被害者」には存命者もおり、結局9件のみ立証された。
一般には200人もの被害者がいるとされている。
 シカゴで薬局を買い取り、近くに3階建てのホテルを建設する。
 “ ワールズ・フェアー・ホテル ” ここがH・H・ホームズの「 殺人の城 」である。
 業者に工事を発注してはわざと支払いをせず別の業者に発注するやり方で、複雑な建物を他人に知られずに建設できた。
 ・ガス室。
 ・アスベストの壁の部屋。
 ・拷問と解剖道具のある地下室。
 ・証拠隠滅のための硫酸銅の水槽。
 ・全室を行き来できる秘密の通路に覗き穴とスライド式の隠し扉。
 ゴールデンカムイで登場した仕掛け全てが実在した


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