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不死身の杉元:杉元佐一 |
名前のモデル:作者「野田サトル氏」の曽祖父「杉本佐一」氏
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自分の曽祖父は屯田兵だ。
恥ずかしながらつい何年か前まで曽祖父のことについてあまり知っておらず、新連載の題材を探していたときに曽祖父を思い出し、父に詳しいことを聞いてみた。
曽祖父は第七師団、歩兵27連隊乗馬隊に所属していた。
いわゆる「北鎮部隊」だ。
曽祖父は一等卒として 日露戦争に出征しており、激戦地であった旅順攻囲戦の二百三高地、その後の 奉天会戦に参加していた。
疎いひとに簡単に説明するなら、数々の映画、ドラマ、小説にもなった有名な戦いで
とにかくムッチャクチャ死んだ。
ある時、曽祖父のいた500名程度の大隊が2,000人のロシア兵に包囲された。
~中略~
曽祖父の名前は杉本佐一だ。
>ちなみにゴールデンカムイの主人公は名前を借りただけに過ぎない。
>自分の曽祖父を描いてるつもりは一切無い。まったくの別人と考えている。
作者ブログ:スギモトサイチのこと
人物像のモデル:不死身の分隊長 「舩坂弘」
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舩坂 弘、日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。 その白兵戦におけるあまりの戦果から、個人名としては唯一「戦史叢書」に名前が載っている。 アンガウルの戦いで弘は多大な戦果を上げることになる。擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上殺傷したといわれる。水際作戦により中隊が壊滅する中、弘は筒身が真赤になるまで擲弾筒を撃ち続け、退却後は大隊残存兵らと島の北西の洞窟に籠城、ゲリラ戦へと移行した。 3日目には、弘も米軍の攻勢の前に左大腿部に裂傷を負う。米軍の銃火の中に数時間放置され、ようやくやって来た軍医は、傷口を一目見るなり、自決用の手榴弾を手渡して立ち去って行ったという。 瀕死の重傷を負いながらも弘は足を包帯代わりの日章旗で縛ることで止血し、夜通し這うことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には左足を引き摺りながらも歩けるまでに回復した。その後も瀕死クラスの傷を何度も負うも、動くことすらままならないと思われるような傷でも、不思議と翌日には回復しているのが常であった。 これについて弘は「生まれつき傷が治りやすい体質であったことに助けられたようだ」と、その事由を述べている。 弘は絶望的な戦況にあってなお、拳銃の3連射で3人の米兵を倒したり、米兵から鹵獲した短機関銃で3人を一度に斃し、左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺し、短機関銃を手にしていたもう1人に投げて顎部に突き刺して殺すなど、鬼神の如く奮戦を続けていた。実際、弘の姿を見た部隊員たちから、不死身の分隊長、鬼の分隊長と形容する声が聞かれるほどであった。 |
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アシㇼパ和名:小蝶辺(こちょうべ)明日子 |
名前の元ネタ:樺太の地名「胡蝶別(こちょうべつ)」
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胡蝶別は遠淵村の地名の一つ 遠淵という地名は、アイヌ語の「トウ・プツ」(湖の口)に由来。 Wikipedia:遠淵村 地名が名前についていることから、アシリパの名前が今後、物語の中で金塊のありかに関わってくるのかもしれない。 |
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役に立たねぇな!白石!脱獄王:白石由竹 |
人物像のモデル:「昭和の脱獄王」白鳥 由栄(しらとり よしえ)
幼少期に豆腐屋の養子となるが、徐々に素行が悪化。遂に1933年に仲間数人と強盗殺人を犯し、その2年後に自首し投獄される。その際に収容された先の刑務所の待遇が劣悪だったことから抗議したところ、過酷な懲罰を受けたことが契機となり、その後、次々と脱獄と収監を繰り返す人生を歩むこととなった。 収監中、当時の看守達は白鳥の脱獄を阻止するため厳重に警備を重ね、あらゆる手立てを行ったがいずれも振り切られた。このことから、脱獄者を出すと職務怠慢で懲戒処分になる当時の看守の間では 「脱獄するなら、自分が当直以外のときであって欲しい」 と評されたエピソードがある。 身体の関節を簡単に外すことができる特殊体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出したという。 |
また、白鳥は超怪力と超脚力を持ち合わせ、怪力で手錠の鎖を引きちぎり、120kmを一日で走破できたといわれるが、ゴールデンカムイの白石が作品内で超怪力や超脚力を披露するシーンは無い。
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